「神田村と共に」

三鷹市 ミール書房

                             船井 清子

 

神保町の一郭に本屋の問屋街があることは昔から知ってはいたが、自分がその区域に商いの仕入れで足を踏み入れることは全く想像の外だった。

13年前、新米の、それも還暦を数年過ぎての老本屋で仲間入りした時、その区域には昭和の匂いが立ちこめて懐かしい面影に包まれる感覚がした。瓦屋根、土間、入組んだ棚、招き猫然りとカウンター近くに犬や猫のいた店、ヨーロッパ風の旗を戸口に掲げた洋館もあった。

都市開発で今は各店が移り、メインにあるようなお店は減った。しかし、その仕事に携わる人達には変貌などない。実に個性的である。老いた小店舗の本屋がここで揶揄されたり、冷淡な扱いをされたことは一度も無い。経験を重ねて慣れる迄と見守っていただいたのだ。今もってミスが多い私にはさぞ苛々されることであろうが、皆が優しくしてくださる。距離が近ければ毎日でも覗きたい。

以前のように目にも止まらぬ速さで計算機を扱い、あっという間に請求を出すことや、在庫の何百冊ものインプットの中から注文の一冊を抜き出すようなことは、パソコンの普及によりなくなったが、大取次からいとも簡単に配本はゼロと言われ、版元にも品切と返事された客注品をこの村では「1冊でいいね」とカウンターに置いて貰えることは昔と同じだ。10坪程の店を遣り繰りしている本屋にとってその一冊はまさに命綱である。これ迄どれほどそういう助けのお陰で顧客を繋ぎとめられてきたことか。

最も心に在るのは、ここでは1冊の購入でも50冊の購入でも店の人達の応対が同じということだ。余分な愛想もなくただひたすらに目の前で注文の有無、版元の現況を教えてくれる。事情があって行けない時も心安く受注し、面倒な荷造発送もして貰える。と、こう書いているとこの村、本の卸の神田村と当店は絆で結ばれている、と知る。この村が無ければ印刷文化の流通の逆風の下では当店は早くに白旗を掲げざるを得なかっただろう。もしそうなったとしたら、これ迄当店で間に合わせて居られたお客様は、バス、自転車で大規模店が2店ある駅前に行かなければ本は買えない。近くの図書館では人気の新刊本の3~4ヶ月待ちはざらだということだ。近くの小学校3校、中学校1校の生徒達は駅への危ない道を往復しなければならない。住宅街の高齢者は雑誌をも手に入れられなくなり、そのまま活字とオサラバすることとなるだろう。

何とかこの情勢の中で瀬戸際の踏ん張りを続けている当店を陰から支えてくれる神田村!私はいつも共に商いをしていることを納得し続けている。
 
 

こんな感じで、皆さんも神田村の思い出、神田村を使うようになったキッカケ、

私はこんな風に神田村を使っているといった原稿を募集しております。